2014年02月28日

【資料】【原子力規制委員会・委員と幹部名簿 2014年(平成26年)02月28日現在閲覧】


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◎【資料】【原子力規制委員会・委員と幹部名簿 2014年(平成26年)02月28日現在閲覧】


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⇒ http://www.nsr.go.jp/nra/gaiyou/


◆田中俊一委員長

委員長から一言
原子力規制行政への信頼が完全に失墜している中で発足する原子力規制委員会は、国民の厳しい目をしっかりと受け止めながら、規制の強化を行うことが責務です。

東京電力福島原子力発電所事故への反省を一時も忘れることなく、独立性と透明性を確保し、電力事業者等と一線を画した規制を必ず実現させなければなりません。すべての規制について不断の改善を行い、日本の原子力規制を常に世界で最も厳しいレベルのものに維持して参ります。

放射線による影響の不安と向き合って毎日を過ごしている人がいるということが、私の心から離れることはありません。JCO臨界事故の経験や、これまでに得た知識、私が持ちうるすべてを、原子力の安全を確保するための新たな規制に注ぎこむ決意です。
1945年1月 福島市に生まれる

お母さんが大切に保管していたという1枚(1歳9ヶ月)

旧伊達町(現伊達市)で小学校を卒業

中学・高校時代を会津で過ごす

中学時代 地区予選で3位の記念に(前列左)

−どんな少年時代でしたか?
放課後は友人と外で遊んでいました。小学校時代は魚釣りや里山歩きが大好きでしたし、中学では野球に明け暮れました。
−思い出の場所はどこですか?
摺上川(すりかみがわ)、 阿賀野川支流の大川、会津の山々、吾妻山

1967年3月 東北大学原子核工学科を卒業

自作の実験装置の前で

−原子力を専攻しようと思ったのはなぜですか?
原子力は当時、最先端の科学技術でしたから、工学系の学生にとっては最も魅力的な分野に見えました。
それに加えて、エネルギー問題への関心もありました。「人の歴史はエネルギー利用の歴史」というのを、まさに感じていたんです。日本がエネルギー資源を求めて太平洋戦争を経験し、戦後は炭鉱で多くの犠牲を出す、そういう中で育ちましたからね。
原子力という新しいエネルギーの平和利用が確立できれば、苦しい歴史を繰り返さずにすむのではないか…、そういう思いで原子核工学を専攻しました。
「日本のエネルギー問題」(岩波新書)※は、私の進路選択に大きな影響を与えました。
※「日本のエネルギー問題」岩波新書1963年4月 編者:有沢広巳 (残念ながら、現在は絶版)

学生時代画像

−どんな学生でしたか?
貧乏学生でしたね。4年間の寮生活で、いろんな専攻の先輩・後輩とのふれあいが、今の自分を形成したと思っています。あまり真面目な学生ではありませんでしたが、実験は好きでした。徹夜で実験をやることもありました。
また、山が好きで、アルバイトで稼いでは、東北の山々を歩き回りました。

職場の仲間とサッカーチームを結成(前列右)

−いまでもスポーツマンですか?
スキー、サッカー、登山、テニスをします。サッカーはもう卒業して観戦に回っていますが、スキーと登山は一生続けたいと思っています。

1967年4月 日本原子力研究所に入所

登山画像

−就職先に原子力研究所を選んだのはなぜですか?
原子力を専攻した者にとって、「原研」は憧れの職場でしたからね。非常に競争倍率が高かったんですが、なんとか潜り込むことができたという感じでした。
原子力には広い範囲の専門性が必要なので、原研には、全国からいろいろな研究者や技術者が集まっていました。「自分たちがパイオニアなんだ」という気概を持って活気に満ちた職場環境でした。
−原子力研究所に入っていなかったら、何になりたかったですか?
分かりませんが、もし新たに人生をやり直せるとしたら、自然の中での暮らしが好きなので、医者になって田舎で暮らしたいと思います。

1999年4月 日本原子力研究所 東海研究所副所長に就任
1999年 JCO臨界事故の発生

−JCO臨界事故の時、現場で事故収束を?
日本で初めて、住民の避難や放射線被ばくによる犠牲者を出した原子力事故として、決して忘れることのできない重い出来事です。同時に、組織を越えた科学者・技術者の協力、原子力安全委員会のリーダーシップが事故の終息に繋がったことなど、原子力事故の対応について多くの教訓を残した事故でもありました。しかし、この経験が、東電福島原発事故で活かされなかったことが、極めて残念です。

2002年7月 日本原子力研究所 東海研究所長に就任
2006年6月 日本原子力学会 会長に就任

−当時、原子力学会で一番のトピックは何でしたか?
国内外での原子力発電の拡大が進んでいた時期でしたが、一方でそれを支える人材の不足が懸念されていました。特に日本では、大学の原子力人材育成の機能が著しく弱体化してきているという危機感がありましたから、学会が中核となって人材育成に取り組もうと、そういう議論をしていました。

2007年1月 原子力委員会 委員長代理に就任

−原子力委員会では、どういう議論が記憶に残っていますか?
原子力委員会は、確かに原子力の平和利用を推進する組織ですが、そもそも「原子力の利用」といっても、原子力発電だけではないんですよね。医療や産業で使われる放射線もあります。私としては、福祉につながる広範囲な原子力の利用について興味がありました。ちょうど核セキュリティが話題になっていた時期ですし、基礎・基盤研究や人材育成も含めて、非常に幅広い分野を知ることができました。

2011年3月11日 東日本大震災 東京電力福島原子力発電所事故の発生

−東日本大震災が起きた瞬間はどこにいましたか?
茨城県内の自宅におりました。大きな揺れだと感じました。私も家族も無事だったのですが、停電が3日くらい続きました。東京電力福島原子力発電所に異常があるという情報は、ラジオで知りました。
−これほどの事故が起きたことについては?
言葉が出ませんでした。というか、「どうなってしまうのか」と息をつめて見つめていたという感じでした。

2011年3月31日 緊急提言を発表

−3月末に緊急提言を発表した時の思いは?
この緊急提言は、住田健二さんや松浦祥次郎さんと一緒になってまとめたものです。 シニアの我々が口を出すのはどうかという意見もありました。でも、事故収束の糸口も見えない状況でしたし、我々も含めて全ての技術者の知恵を結集してほしいという一心でした。

福島原発事故についての緊急建言【PDF:150KB】別ウインドウで開きます

2011年4月1日 記者会見

―翌日の会見では国民に謝罪を述べましたね?
はい。「これほどの迷惑をかけていることについて、原子力を進めてきた人間として国民に謝らなければならない」と発言したことが、取り上げられました。当時は、これまで原子力に関わってきた人であればあるほど口を開くのをためらっていた時期でしたから、注目されたのかもしれません。
今でも気持ちは変わりません。私たちは日本のエネルギーを作り出したいという気持ちで技術を高めてきたつもりでしたが、その中で謙虚さを失っていたことを反省し、謝罪しないといけないと思います。

2011年5月 福島県内の除染を開始

除染作業画像
富成小学校で除染ボランティア(提供:伊達市役所)その1
富成小学校で除染ボランティア(提供:伊達市役所)その2

−その後、福島の除染を始めたのは?
人が生活している環境が、このように広範囲に汚染されるということは、まったく考えられていませんでしたから、民家などの除染の方法というのも体系だってはいませんでした。そもそも除染という言葉自体もまだあまり知られていませんでしたし、まずは現場で少しでもやってみなければ…と思いました。いてもたってもいられなかったんですよ。
4月から準備にとりかかりましたが、5月になって初めて飯舘村の除染に入ることができました。
−除染を続けてきた思いは?
避難している方々が1日でも早く帰れるように…というだけです。20ミリシーベルトというのがいま政府の基準になっていますが、20より低ければいくら浴びてもいいということではありません。もちろん1ミリシーベルト以下を目指してできるだけ早く、できるだけ低くするべきなんです。
まずは除染でできるだけ下げて、しかし限界はあるので、除染だけやればいいのではなくてあらゆる方法で被ばく線量を下げようとしなければならないと思います。
避難するという判断もあっていいと思います。ただ、「なんとかして線量を下げる」ということを基本におかないと、政策の面などで福島が置き去りにされるのではと、そういう不安がありました。

2012年9月11日 内閣官房参与に就任

−原子力規制委員会の委員長という依頼を受けた時の気持ちは?
正直なことをいえば、「お断りしたい」という気持ちでした。この状況の中で、新しい規制機関がどれほど重い責任を担うのかは想像がつきましたから。
この年齢になって、そのような大変な職に就くことにためらいもありましたし、ふるさとの福島で除染をしながら過ごした方が個人としては幸せなんじゃないか…とも考えました。
−何が背中を押した?
事故から1年が経つうちに、だんだんと事故のことが薄らいでいるのではないかという不安がありました。事故への反省を新しい規制の中心に据え、しっかりと根付かせるために、身を捧げようと思いました。
もちろん今は、確かな決意を持っています。私の全てでもって、新たな原子力規制を実現します。



◆島ア邦彦委員

委員から一言
地震と津波による電源喪失が発端となって、東京電力福島第一原子力発電所で重大事故が発生しました。このような事故を二度と繰り返さないことが最低限必要です。地震や津波については予断をもたず、自然が語ることにすなおに耳を傾ける姿勢を持つことが基本であり、常に基本に立ち返って科学的な判断を提供したいと思います。

略 歴

生年月日
昭和21年3月
昭和43年3月
東京大学理学部地球物理学科卒
昭和45年3月
東京大学大学院理学系研究科修士課程修了
昭和45年4月
東京大学地震研究所助手
昭和49年3月
理学博士(東京大学)
昭和55年9月
東京大学地震研究所助教授
平成 元年6月
東京大学地震研究所教授
平成18年5月
日本地震学会会長
平成21年3月
東京大学退職
平成21年4月
地震予知連絡会会長

◆更田豊志委員

委員から一言
原子力規制委員会において自分に課せられた任務は、国内外から得られる最新の知見や技術、リスク情報をもって原子力の諸活動が与える危険を可能な限り正確に把握し、これに的確に対処するための基準や体制の整備を進めることだと認識しています。常に、「どれだけ危険性が把握できたか」という姿勢で規制に臨みたいと思います。
略 歴

生年月日
昭和32年7月
昭和62年3月
東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了
昭和62年4月
日本原子力研究所入所
平成13年4月
日本原子力研究所企画室調査役
平成15年4月
日本原子力研究所安全性試験研究センター
原子炉安全工学部燃料安全研究室長
平成17年10月
(独)日本原子力研究開発機構
安全研究センター原子炉安全研究ユニット長
平成22年4月
(独)日本原子力研究開発機構
安全研究センター副センター長
平成24年4月
(独)日本原子力研究開発機構
原子力基礎工学研究部門副部門長

◆中村佳代子委員

委員から一言
東京電力福島原発事故のようなことは二度と起こしてはなりません。管理することができない、あるいは、信頼することができない科学や技術は使用してはなら ないと思います。また、原子力や放射線についての知識や情報を国民の一人一人が等しく共有することが大切であると考えます。放射線による影響への不安と向 き合っている人に寄り添い、『放射線や原子力が何であるか』をわかり合えるようにするために努力したいと思います。
略 歴

生年月日
昭和25年3月
昭和53年3月
東京工業大学大学院理学系研究科博士課程修了
昭和53年4月
東京都臨床医学総合研究所放射線医学研究室研究員
昭和58年5月
慶應義塾大学助手(医学部放射線科学)
平成2年4月
慶應義塾大学専任講師(医学部放射線科学)
平成22年1月
(社)日本アイソトープ協会医療連携室長
平成24年4月〜9月
(公社)日本アイソトープ協会プロジェクトチーム主査


◆大島賢三委員

委員から一言
地に墜ちた原子力に対する国民の信頼を回復することが何よりも求められています。まず国民の健康と安全を最優先する安全文化の再構築をはかること、内向き の態度から国際安全基準を尊重し、国際協調と協力を重視する開かれた原子力政策と行政の実現をはかること、そのために新しい規制委員会の独立性と透明性を 大事に、改革の尖兵としての役割を果たし、実績をあげていくことが重要です。国会事故調査委員会での活動経験を活かし、微力を尽くしたいと思います。
略 歴

昭和42年 3月
東京大学法学部中退
昭和42年 4月
外務省入省
平成 9年 8月
外務省経済協力局長
平成11年 8月
総理府国際平和協力本部事務局長
平成13年 1月
国際連合事務局事務次長(人道問題担当)
平成15年 9月
在オーストラリア特命全権大使
平成16年11月
国際連合日本政府代表部特命全権大使
平成19年10月
(独)国際協力機構(JICA)副理事長
平成23年 9月
(独)国際協力機構(JICA)顧問
平成23年12月
国会福島原子力発電所事故調査委員会委員
平成24年9月
19日
原子力規制委員会委員に就任

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⇒ http://www.nsr.go.jp/nra/meibo.html

幹部名簿
原子力規制庁幹部名簿
役職 氏名 ふりがな
長官 池田 克彦 いけだ かつひこ
次長 森本 英香 もりもと ひでか
緊急事態対策監 安井 正也 やすい まさや
審議官 櫻田 道夫 さくらだ みちお
審議官 山本 哲也 やまもと てつや
審議官 大村 哲臣 おおむら てつお
原子力地域安全総括官 黒木 慶英 くろき よしひで



(了)
※記事の事実関係の誤りや誤字脱字などは、下記メールアドレスかコメント欄にてお知らせください。
⇒ bito.satoshi@gmail.com まで。よろしくお願いします。


posted by びとう さとし at 13:25| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 脱原発・エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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