2012年04月18日

再稼働の是非ではなく、官僚制の弊害がキモってことか 17日のTBSラジオ「dig」

再稼働の是非ではなく、官僚制の弊害がキモってことか 17日のTBSラジオ「dig」


きょう17日のTBSラジオ「dig(ディグ)」は、大飯原発の再稼働に関してでした。

いま現在日本が解決しなければならない原発・エネルギー問題は、―短期的には再稼働の是非ですが―、官僚制の問題であることを浮き彫りにしたように思います。

ゲストの梶山恵司さんは、「経済産業省(の官僚機構)は仙谷さんを抑えれば、枝野さんも抑えられると思っている。本来、役人がやってはいけないことです」と解説します。梶山さんは、「必要悪」として再稼働も選択肢と考えている方です。(ほかにさんと開沼博さんがゲストでした。)

司会の神保哲生さんは、経済産業相の枝野さんについて「孤立無援で可哀想」という趣旨の発言をしていました。「甘いと言われるかもしれませんが」と付け加えて。
今回のことかはわかりませんが、役人の中には「『だれか僕を止めて』と言う人もいる」と官僚組織のルール・流儀の中で、自分の意に反して仕事をしている人がいる内幕を話しました。ひとりの官僚には、どうにもできない。

「志なくば立たず」だと思います。政治は権力闘争ですから、本当に脱原発社会を目指しているのであれば、官僚の手のひら・掌から飛び出して、国民の生命と財産を守るのが政治家だと思います。
国民の命よりも官僚の利益を優先する人間に「可哀想」という気に私はなれません。



官僚制は、もちろん日本に限ったものではありません。
ちょうどいま読んでいる、新藤宗幸さんの『政治主導 ――官僚制を問いなおす』(ちくま新書943)の言葉を借りると、「官僚制組織は、政府のみならず軍隊、政党、圧力団体(利益集団)、企業さらには宗教団体に共通してみられる」ですが、日本の官僚制は、日本が得意(特異?)な「ガラパゴス化」しているのじゃないかと思います。

米国やスウェーデンなどの海外の諸国にも官僚制はあります。自己組織の利益を追求するのは、どこの行政官僚制にとって共通していると推測します。
ただ、成熟した政治的先進国では、国民の利益が一番大切にされるのではないかと思います。組織の利益は求めるものの、主権者である国民の利益を守るために政府行政はあるという基本的な部分は守っているのではないでしょうか。

しかし、日本の行政官僚制(特に中央政府)は、国民の利益や、国民主権はないがしろにされて、官僚制・官僚の利益が優先されるのではないかと、思います。

安易に、明治以来の官尊民卑や、日本は市民革命を経験していないからだと理由付けする気はありません。ただ、この国の官僚機構の異状さは、日本特有なのではないかと思えてなりません。
何も原発・エネルギー問題に限ったことではありません。
(長谷川幸洋さん<東京新聞記者>の『日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か』を併読しています。)


孫引きで申し訳ありませんが…、
新藤宗幸さんの『政治主導』の87ページ。
<自民・社会・さきがけ連立政権時代に大蔵大臣であった武村正義は、その『回顧録』のなかでひとつの興味をひかれるエピソードを語っている。

大蔵省の連中に、「君たち、僕のところに上げてくるときに、二つ、三つ選択肢をだしてくれんか」と言ったことがあるんです。「いつも一本に絞って上げてくるじゃないか。それに対して僕があれやこれや言うと、『それは駄目です、それはこういう問題があります』と言って、それしかないようなことをあんた方は寄ってたかって一所懸命説明する。(以下略)」

多くの閣僚が自ら最終判断をしたかのように語るなかで、武村は率直に官僚との関係の実態を語っている。>
武村正義さんは、自治省(現総務省)OB。滋賀県知事を3期務め、1986年に国政へ。

原書『聞き書 武村正義回顧録』(御厨貴・牧原出編、2011年2月、岩波書店)

(了)




posted by びとう さとし at 01:49| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治★全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。