新聞各紙のコラムがどういう切り口で、福田辞任会見を伝えているのか読んでみました。社説ですと、似たような文章になってしまう気がしたので、コラムにしました。
取り上げた新聞は、(所在地が北の方から)
北海道新聞・秋田魁新聞・河北新報・上毛新聞・(東京新聞)・朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・日本経済新聞・産経新聞・神奈川新聞・新潟日報・信濃毎日新聞・中日新聞・京都新聞・神戸新聞・四国新聞・中国新聞・西日本新聞・熊本日日新聞・沖縄タイムスの20紙です。
当初読もうと思った北国新聞(石川県金沢市)は、ネットでコラムが読めないようなので、代わりに京都新聞にしました。
好みで、評価を4段階で点けてみました。良い方から「◎>○>△>×」です。翌日2日付けのコラムでは取り上げていない4紙は、「?」として評価から除外してあります。
▼日報抄(新潟日報、新潟県新潟市)◎=「『地頭力(じあたまりょく)』が問われる時代だという。」「全国学力テストの結果分析では、前年に続いて応用力不足が指摘された。」「二代にわたって応用力も工夫もない政治家が首相を務めていたことになる。」。日報抄コラム子は、福田首相の「能力」が1つだけあると続ける。記者会見最後の質問で「人ごとのようだ」との問いに、「『私は自分を客観的に見られる。あなたとは違う』と気色ばんだ。」と、記者会見の核心を紹介し、「自分を知る力はあっても、不景気と物価高騰に四苦八苦する国民の思いは分からなかったようだ」と結んでいます。
▼(四国新聞、香川県高松市)◎=休耕田に見つけた青い花のツユクサの話です。「もともと一年で枯れるさだめの花だが、盛りはさらに短い。午前中に咲かせ、午後にはもうしおれてしまう」。季節の移ろいを交ぜながら、友禅の下絵に使われていたと紹介します。「しかしそれは、この花の弱点をも示していた。下絵に使うのは、染料が水に溶けやすく色落ちしやすいから。歌人たちもそれを踏まえて、冷めていく恋人の心に例えたりした。やがて染料としては、自己主張の強い藍などにとって代わられる」。最後の6段落目になって、初めて福田康夫さんの名前が現れます。コラムの最後は「ツユクサのはかないさだめが思い重なる」で締めています。
▼天風録(中国新聞、広島県広島市)△=「小泉政権のスポークスマンとして沈着冷静な半面、斜に構えた皮肉屋の印象があった」。「唯一、感情が顔に出たのは、民主党の小沢一郎代表についてだ。」「『国民には、ひとごとのように聞こえるのでは』。会見の最後に本紙記者が質問した。『私は自分自身を客観的に見ることができるんです!』と気色ばむ首相」。「本紙記者」だからあえて抑えた文章なのかなぁ。記者会見のもう1人の主役は、最後の質問をした記者だったと思うのですが…。
▼三山春秋(上毛新聞、群馬県前橋市)×=「しかし、道路特定財源の一般財源化や公務員制度改革を断行したほか、国民生活に密着した消費者庁の創設への道筋をつけたことなどの実績を残した」。「戦後の首相四人を輩出したのは本県だけ」。「道半ばの感が残るが、パフォーマンスが嫌いで、実直な上州男児らしい引き際だった。」
▼中日春秋(中日新聞、愛知県名古屋市)=東京新聞のコラム「筆洗」と同一○=「歴史は繰り返す」。「それに『一度は悲劇として、二度目は茶番として』と付け加えたのはマルクス(本人)である」。辞任の弁が「少し拗(す)ねたような言いようも『繰り返し』」。
▼春秋(西日本新聞、福岡市)○=「政権を途中で放り投げる首相が2人も続いた国の国民は不幸というほかない」。「『あなたは無理だろうが、私は自分を客観視できる』と答えたときは、こんな人は早く辞めてもらった方がいいと思った。そう思わせるための演技なら大したものだが」。米国の大統領選挙を引き合いに「指導者選びに国民が参加できる国がうらやましい」。総選挙での再生にとどまらず、制度の変革を促しているように読める。
▼斜面(信濃毎日新聞、長野県長野市)○=「扇の要の総理大臣が“当て馬”だったことにもなる」。「『客観的に自分を見ることができる』とも述べた首相だ。決戦場の臨時国会で難問を抱えて立ち往生する自らの姿が見えたのだろうか。それにしても、おはこの『国民の目線で』とはほど遠い判断だ。」
▼正平調(神戸新聞、兵庫県神戸市)○=「何が言いたかったのか。振り返ると、結局は民主党への恨み節ばかりだった」。「福田首相が声を荒らげた。『まるで人ごとのように聞こえるが』との質問が出た場面だ。『私はあなたと違って、自分を客観的に見ることができる』」。
▼編集手帳(読売新聞、東京都)○=尾崎行雄の1950年の作とされる歌「国よりも党を重んじ党よりも身を重んずる人のむれ哉(かな)」を冒頭で紹介。「尾崎流の雄弁は求めぬまでも、背水の陣を敷いた人の血を吐くような肉声が聴きたかった。」
▼北斗星(秋田魁新報、秋田県秋田市)○=「無責任極まりないとは、こんなときにいうのではないか」。「新体制になれば民主党が軟化するとでも言いたいようだが、果たしてそうだろうか。逆に政権奪取に向けて攻勢を強めるのではないか」。「気色ばんだのは、首相の言葉は国民には人ごとのように聞こえると指摘された時。『私は自分を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです』。捨てぜりふ以外の何物でもなかろう。」
▼凡語(京都新聞、京都府京都市)○=「『私は自分自身を客観的に見る目があるのです。あなたと違うんです』−そうだろうか。そこまで客観視できるのなら、自身の率いる政権がなぜ、高い支持率を得られないか、どうしたら国民の支持を高められたかも、分かったのではないか」。「パフォーマンス嫌いで、着実に政策を積み上げる姿勢は悪くない。」。「ぼろぼろになるのは首相の美学が許さなかったのだろうか」。
▼河北春秋(河北新報、宮城県仙台市)○=「感想は人それぞれかもしれないが、共感や同情を覚えた人は、まずいないはずだ」。「1カ月前に内閣を改造したばかり。この国の政権は、こんなにも軽いのか」。「言葉はやはり軽く、胸に響いてこない」。
▼ 卓上四季(北海道新聞、北海道札幌市)△=「合意やバランスを大事にした印象がある」「福田さんの愚痴は、自民党の政治が限界に来たことの内部告発のように聞こえる」。太宰治の逸話を引き合いに穏やかな筆致。
▼余録(毎日新聞、東京都)△=「それを受け止める国民の政治への不信と不安に思いは及ばなかったのか」。M・ウェーバーの著書「職業としての政治」で引っ張る。「説かれているのは、宗教的・道徳的な心情だけではさばき切れない政治の結果責任の重さだ。」「『どんな事態に直面してもそれにもかかわらず!≠ニ言い切る自信のある人間、そういう人間が政治への天職を持つ』というのも『職業としての政治』の言葉だ。」
▼春秋(日本経済新聞、東京都)△=「『腹黒くないからこそ政治家として人気が出ないのかも』。北京五輪の柔道で金メダルを取った石井慧選手は、福田首相をそう評していた。『すごい純粋さが伝わってきました』」。福田首相を美しい「日本柔道」に見立て、勝ちにこだわる石井選手を国際化したJUDOとして対比させています。「民主党の小沢代表が見事な一本を取ったわけではない。福田首相は技を仕掛ける間もなく、試合の途中で息が切れてしまった。」
▼照明灯(神奈川新聞、神奈川県横浜市)△=「安倍晋三前首相の『投げ出し』とは違うという。どこが違うのだろう。」「今月からも多くのものが値上がりし、国民の暮らしは政治の無力の前に翻弄(ほんろう)されている」。
▼射程(熊本日日、熊本県熊本市)?=ごみ発電関連。3日付けで紹介しています。
▼大弦小弦(沖縄タイムス、沖縄県那覇市)?=「エコブーム」異論。3日付けで紹介しています。
▼天声人語(朝日新聞、東京都)?=大分県教育委員会の組織犯罪関連。3日付けで紹介しています。
▼産経抄(産経新聞、東京都)?=テニス錦織圭選手関連。3日付けで紹介しています。
(了)
2008年09月06日
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